敦賀港の歴史

慶応元年ころの敦賀港

慶応元年ころの敦賀港

 敦賀港は、江戸時代から、天然の良港として北前貿易などで栄えてきました。 明治に入ると敦賀港の重要性に目をつけた政府は、いち早く敦賀と神戸を鉄道で結ぶことを考え、 東京~横浜間の鉄道開通からわずか10年後の明治15年(1882)3月には、敦賀への鉄道が開通し、 鉄道を経由した敦賀港の利用が増加しました。

 そして、明治29年(1896)11月1日「特別輸出港」に指定され、ついで明治32年(1899)7月12日には「開港場(外国貿易港)」に指定されました。

 また、明治35年(1902)2月、敦賀~ウラジオストック(ロシア)間に日本海命令航路が開設、明治45年(1912)6月には新橋~敦賀港(金ヶ崎)間に一等寝台車を連結した「欧亜連絡国際列車」を走らせ、 シベリア鉄道に接続させましたので、航路の利用が増大し、他の港湾都市にはない広域的役割を果たしました。

 こうした重要な港であることから、明治40年(1907)10月23日に敦賀港は横浜・神戸・関門とともに第1種重要港湾に指定され、明治42年(1909)7月には第1期修築工事が、 大正11年(1922)9月には第2期修築工事が着工され、現在の敦賀港の原型が出来上がりました。 その後、昭和、平成と敦賀港は発展を遂げてきたのです。

明治中期の敦賀港

明治中期の敦賀港

大正中期の敦賀港

大正中期の敦賀港

昭和初期の敦賀港

昭和初期の敦賀港